ライブウォーカー バンドマンに捧げる不定期コラム

怪奇!セッションの謎 第3話

『好きに演奏してはダメな3つの理由』

 

前回からの続き

 

ということで、そんなセッション現場の人達に、『なんでファンクとソロ回しにしかしてくれないの?』と尋ねてみました。すると、このような答えが返ってきました。

 

『自由の中にもルールがある』『みんながまとまりやすい一番簡単なスタイルがファンクとソロ回し』『ある程度ルールが無いと指揮者のいないオーケストラみたいになる』等々…。

 

 

なるほど、あながち間違ってはいないようにも思います。ここで、前回のコラムで体験談を語っていただいたパワードラマーで知られる、S並区在住:Y.Aさんに再度登場いただき、これらの返答をぶつけてみました。

 

 

えー…、この際、ここではっきり言わせてもらいます。

 

「お前らは全員洗脳されている!」

 

 

『自由の中にもルールがある』だって?

 

そりゃあるでしょう。でも、フリーセッションの具体的なルールって何?

 

自由な表現をするはずの現場が、あくまでお約束の中でのフリースタイルという制限に縛られているのはなぜだろう?

 

もちろん、そういった王道をやるのも正解の一つでしょう。しかしながら、お約束の中での自由しか認めないのはどういうことなのか? こうなってしまうと、セッションという名の新ジャンルではなかろうか?

 

 

『みんながまとまりやすい一番簡単なスタイルがファンクとソロ回し』だって?

 

おいおい冗談言うなよ。ファンクとか超難しいし、ソロとかさらに難しいだろ。世の中には8ビートも叩けなければ、フレットすら押さえられない人間もいるんだよ!

 

そんなファンクには程遠い人間が、やっとこさ音を出したとしても、上手い人達ってば、結局は自分達お得意のファンクとソロ回しスタイルに取り込もうとしちゃうのね!(もしくは、いかにもなフリージャズスタイルとか…)

 

上手い人は技術があるのだから、出来ない人間の発想に歩み寄っても良いのでは? エスコートじゃなくて、おまえらが下手な人間のエリアに来いってことよ(;`皿´)

 

その結果がファンクでありソロ回しであるなら納得ですが…、実際、ファンクとソロ回しにしなくてもいい時っていっぱいあるよね?

 

奇をてらう必要はないけれど、それと同じくらいファンクとソロ回しに着地する必要もないのです!

 

『ある程度ルールが無いと指揮者のいないオーケストラみたいになる』だって?

 

別にいいじゃないの。荒れたオーケストラ大いに結構。もちろん、まとまりのある演奏は素晴らしいし、きっと初心者だって音楽の楽しさに気付くことも多々あるだろう。

 

しかし、かならずしも全ての人が、まとまって理にかなったものを求めているわけではない。セッションというのは、そういう不揃いな化学反応を楽しむ場所のはずでは?

 

実際、技術のつたない人の感性って宝物だと思うんですよ。子供の描いた無垢な絵って大人は真似出来ないでしょ? あと、画力の低い人が『画伯』と言われてクローズアップされたりするじゃない?

 

これらのインパクトと破壊力は半端ないもの。それを、大人や技術者の解釈でスマートな形に導いてしまうって、ある意味、宝の輝きを消してしまっていると思うのです。

 

それって、近年にみられる、子供の作文を、SNSで拡散されそうな感動系にアレンジする親と似たような行為なのです!

 

セッションの現場は、ファーストインパクトを体感できる貴重な場所なのだから、スマートにまとめようとしなくて良いのですよ(;`皿´)! 未知との融合を目指しなさい!

 

S並区在住:Y.Aさん談

 

 

少々熱くなってしまっているようで…。

 

物議を醸しだしそうな展開になってきましたが、次回いよいよ最終回です。

 

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〜最終回〜

 

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企画&ライター 浅井陽 - イラスト担当:こむじむ

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