ライブウォーカー バンドマンに捧げる不定期コラム

激録バンドマン密着24時!! 〜オレたちに明日はないSP〜

音楽人なら批判で団結するなかれ

さあ、第1回2回3回と全国のバンドマンさらには音楽業界そのものを敵に回すようなことを書いてきましたが、今回は音楽業界追放をも覚悟して書く所存です。タイトル通り「批判で団結するな」についてお話しましょう。

 

音楽大不況の近年、ひたむきに頑張っているバンドやミュージシャンは数いれども、やっぱり元気がないのが正直なところ。さらには、妙な勘違いで迷走してる感も否めなく、その最たるものが「批判活動」だと思います。(こんなコラム書いてる奴が言うのも何ですが…)

 

 

ロックは反骨精神などと言われますが、ワタクシ、反骨と批判は別物だと思うんです。

 

反骨精神というのは、周りにどうこう言われようと自分の信念を貫く気構えのこと。でも、どうも現状のバンドを見ていると反骨精神…、というより「何かしら悪者を探して(作りあげて)批判したい」っていう精神性をつよく感じるんですよね。

 

いろいろなデータを引っ張ってきては、気に食わないお偉いさんに批判、罵倒の雨あられ。いや、言うのは自由ですよ。実際悪いことしてる人もいますしね。

 

でもねえ、批判的な生活や活動を重ねると、全てが疑わしく見えてくるものです。平和、平等、正義という名分で、延々と誰かを批判し続けてるミュージシャンも少なくないですよね。矛盾しているというか、もはや平和的な訴え方ではない。

 

 

そもそもメッセージがあろうがなかろうが、バンドマンは非日常を謳歌し我が道を行く生き様そのものが魅力のはず。にもかかわらず、偉大な先人に憧れてなのか、相も変わらず政治批判か神秘追求というお約束芸バンドの激増!

 

 

先人の政治批判や神秘追求は、売れすぎて自分の居場所や気持ちのやり場がなくなってしまった故とか、ありえない程の貧困地域で育った故の人間不信とか、そういう切実な問題から来てるわけよ。(もしくは超絶なボンボン故の夢想とかね…)

 

偉大な先人ミュージシャンたちの批判活動は、その時代の寵児ゆえの駆け込み寺的役割をなしていたわけ。

 

しかし、この恵まれた時代の日本で、生き方の選択肢も多々ありまくる私たちバンドマンが、彼らと同じような批判行為をするというのは如何なものだろう?

 

 

今の日本、ちょっとばかし貧富の差があろうが、行政の質に地域差があろうが、それらは世界的に見たらしょせんは天上界のお話。意見の違い、解釈の違いは多々あれども、深刻な社会・環境問題にも、批判や罵倒以外の方法で取り組める余地のある平和な国であることは間違いありません。

 

それなのに、何かあると真っ先に批判活動に走ってしまうなんて、一般リスナーからしたら、「バンドマンっていうのは正論(?)をかざして言いがかりをつけたい人種なんだな」って思われてしまうのも当然。

 

ああ、ここで一発言わせてください…。

 

批判の九割は、八つ当たりだからー!!

 

しかもSNSで言わなくていいんだよねえ。その頻繁な書き込みが信頼を下げるんだよねえ…。

 

そもそも、平和や平等を訴えたいのであるなら、それこそ政治的な意見の違うお客さんにも音楽を楽しんでもらう配慮が必要。そのためには、バンドマン、ミュージシャンというのは道化に徹する根性が必要なのです。

 

 

何より大切なのは、音楽を楽しみにくるお客さんが感動する音、非日常を提供することが大切! 意見に違いはあれども、バンドマンなら批判で心を共有するのはやめましょー。

 

 

それでは、次回いよいよ最終回です。

 

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練習しようぜ!

 

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企画&ライター 浅井陽 - イラスト担当:こむじむ

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