LiveWalkerが取材したライブハウス・インタビュー特集(全111回・2013年7月〜2020年2月)のアーカイブです。掲載情報は取材当時のものです。

ライブやろうぜ!ステージファイル Vol.62

四谷天窓は、2020年11月末をもって閉店(営業終了)しました

高田馬場 四谷天窓

四谷天窓 について
高田馬場にある「四谷天窓」は、多くのアコースティックアーティストに愛される日本を代表する「弾き語り箱」。1982年にオープンした四谷フォーバレーの流れを継ぎ、店名に今も残る「四谷」がライブハウスとしての歴史を物語る。シンボルの木彫り看板と石垣デザインのステージ、全席着席スタイルでライブハウスには珍しい座敷席を設けた個性的な空間。居酒屋風のドリンクカウンターでは本格焼酎も楽しめる。系列店に四谷天窓.comfort(同ビル5F)、恵比寿に天窓.switchを運営。
四谷天窓 へのお問い合わせ
四谷天窓
[ 閉店] 新宿区高田馬場 3-4-11 BaBa hatch 3F
TEL:03-5338-6241
出演バンド・ブッキング募集中

ライブハウスの中の人に話を聞いてみた〜 高田馬場 四谷天窓 編

このコーナーはライブハウスでバンドをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。

四谷天窓店長 中田タイキ氏

本日は高田馬場・四谷天窓の店長(制作・ブッキング担当)、中田将輝さんにお話をお伺いします。まずはお店設立の経緯などを教えてください。

天窓グループとしては、四谷にあったFOURVALLEY(※1982年6月初頭にオープンしたライブハウス)が前身となります。ここ四谷天窓は2001年オープンしました。今年(2017年)の4月で16周年を迎えました。

四谷フォーバレーから四谷天窓が出来たきっかけを教えていただけますか?

四谷に店舗があった時代(〜2006年頃)、僕はまだ在籍していなかったので聴いた話になりますが、当時、バンドの数と共にロック箱(黒箱)の数が増え続けました。そんな中、純粋に「歌」を聴かせるミュージシャンが発表の場所を失い、ある時は路上、ある時はノルマの高い黒箱のステージにスタンディングで出演していたそうです。

ちょうどバンドブームの頃ですか?

はい。そんな折、当時、アマチュアアーティストの登竜門でもあったフォーバレーのスタンスとしては、「原点に戻る」という意味もあって、新しいスタイルのライブ空間、フォーバレー2号店「四谷天窓」を誕生させたんです。フォーバレーの打ち上げ会場にもなり、毎夜ミュージシャンが集う居場所ともなっていました。

シンガーソングライターたちにとっての新しい表現の場となったわけですね?

当時はフォーバレーも含め、ライブハウスはバンドが主流で、弾き語りのみの箱というのも希少だったので、いつしか弾き語りシーンの筆頭となりました。アコースティックのアーティストがバンド箱のチケットノルマより安い負担で出演できるというのも大きかったのではないのでしょうか。

アコースティック専門ライブハウスとして歴史ある天窓ですが、最近、変化を感じることはありますか?

弾き語りのアーティストが若年化している感じがしますね。

バンドに比べて大人なイメージもありますが、弾き語りが若年層に広がってきている理由は何でしょう?

やはり、自宅で完結する音楽制作やネット配信環境の影響だと思います。家から1歩も出ることなく一人で音楽を完成できますし、ツイキャスやnanaのような配信ネットサービスを活用すれば、自宅で演奏活動もできてしまいますから。環境的に、弾き語りに適した時代なのでしょう。

水準をさげないよう月に1度オーディションライブを開催

一昔前までは、弾き語りはストリートこそが登竜門でした。

そうですね。先輩からギターを譲り受けたり買ったりして、家でジャカジャカと練習し、路上で度胸を試し、それからようやくライブハウスに出る、というのが一般的なパターンでしたよね。

出演アーティストのブッキング等はいかがですか?大変という話もよく耳にします。

四谷天窓は「弾き語り箱」として世間的に認知していただいていますので、おかげさまで、若い世代も含めて、多くの方がブッキング応募してきてくれます。同時に「弾き語り箱」としての水準をさげないように、月に1度オーディションライブを開催して、有望なアーティストを常に見出しています。

素晴らしいアーティストを世に輩出されていますよね。

最近ですと、シンガーソングライターの高橋優さんなどに所縁のある場所ということで、四谷天窓を公言していただきました。今でも時々、取材などでご使用していただいております。天窓のような「夢の第1歩目になるライブハウス」で歌っていた方が夢を叶えて上へ登っていくのは嬉しいことです。

ライブハウスをやっていた甲斐があるというものですね。

今の若い子が「高橋優さんに憧れて天窓に来ました!」と音源を持ってくる光景も徐々に増えてきました。

まさにライブハウスの理想形だと思います。他にも、四谷天窓は多くの著名アーティストが関わっていると伺いました。

はい。まず四谷天窓という名前はオーガスタ(山崎まさよし、スキマスイッチ、元ちとせ等が所属する音楽プロダクション)の社長さんにつけていただきました。ステージの上にある木の看板は、山崎まさよしさんにデザインしていただいたものです。

山崎まさよしさんデザインとは、まさにお店の看板ですね。

当時から、山崎まさよしさんは弾き語りシーンではかなり有名でしたので、そういった経緯もあり、多くの弾き語りアーティストの方々に良くしていただいています。

「言葉が残る」というのが弾き語りの強さだと思う

世代をこえて人を惹きつける、弾き語りの魅力は何でしょうか?

やはり「言葉が残る」というのが弾き語りの強さだと思います。音が少ないからこそ音作りもごまかしが効かない。声と鳴り物でどこまで良い音を作るか、そういったところで妥協しない出来ない、というところも素晴らしいなぁと実感します。

それでは続いて、中田さんと音楽の出会いについてお聞かせください。

音楽と言っていいかわかりませんが、小学校4、5年生の時に、山崎まさよしさん主演の「月とキャベツ」という映画を観て、この時初めて「アーティスト」という存在を知りました。

山崎まさよしさんとは縁がありますね。

そうですね。四谷天窓に来たのは偶然でしたが、縁はあります。

学生時代、楽器を演奏したり、曲を作ったりは?

僕は福岡出身なのですが、大学2年生の時に、高校時代の同級生と「ゆず」のようなユニットを組んで、路上でライブをするようになりました。と言っても僕の担当は歌だけでしたが(笑)。

プロを目指して活動していたのですか?

そこまで、ガッツリとやっていたわけではありませんが、それなりに楽しく活動していました(笑)。事務所にも入って、有線に流すか流さないか、という所までいきましたが、結局ご破談になりまして、そこから一旦、音楽から退きました。

時期的にも進路を考える頃ですよね。

そうですね…。ユニットの相方は薬剤師をやっていましたし、考えましたね。僕の方は、その後、目標を失った形でしばらくの間、落ち込んでいました。

目標を失った時の喪失感は耐えがたいものですよね…。

当時は、人と会いすぎても、会わなさすぎてもダメという精神状態だったので、多くの日を非生産的に過ごしていました。

どのようなきっかけで辛い時期を乗り越えたのですか?

その時点の立ち位置がマイナス100だとしたら、プラマイ0に戻るには、せめてマイナスの分と同じ分だけプラスのことをしようと思いました。

0に向かってプラスをひらすら積み上げていくのは、なかなか厳しいですね。

そこで、逆転の発想で、「マイナス1をかけよう」と。マイナス1をかけたらプラスになるじゃないか、と。

なるほど!マイナスとマイナスを掛け算するとプラスになります。数学上は…。

それで、自分にとってマイナス1っていうのはなんだろうと考えて、それが「知らない土地に行く」ということでした。

生活環境が大きく変わりますからね。

路上ライブ活動時代、東京からライブ遠征にきていた、とあるミュージシャンと意気投合しまして、僕の家に泊まってもらったとき、「四谷天窓」という良い箱があるから、東京に来ることがあったら観においでよ、良いミュージシャンいっぱいいるよ、と話していたことを思い出して、東京に行くことを決意しました。

セミハードケースをベッド代わりに公園で寝泊まりしたり(笑)

それがマイナスをプラスに変えていく布石となったわけですね。その後の展開は?

上京する際にギターを買って、セミハードケースをベッド代わりに公園で寝泊まりしたり、路上で知り合った人にお願いして泊めてもらったり、そんな生活を1年半ぐらいやりました。

中田さん、温和な見た目に反して相当サバイバーな道を歩んできましたね。

ハハハ(笑)。まあ、そんな生活をしているうちに、その福岡で出会った方が、四谷天窓に出るという情報を耳にしまして、サプライズでライブを観に行ったことがきっかけで、その時の打ち上げで会ったミュージシャンたちのライブに行くようになり、そのうちにバイトで働いてみないか? と誘われ、今に至ります。

福岡でその方に出会ってなかったら、四谷天窓に来ていなかったかもしれないですね。

四谷天窓どころか東京にすら来ていなかったと思います。

全国から「四谷天窓」に集まる若い世代の弾き語りアーティストにも期待したいです。それでは最後にメッセージをお願いします。

その世代ごとに伝えたい言葉は変化します。例えば10代、20代の子たちが主張する言葉の中には、正直、僕にはわからない、と感じる表現もあります。だって僕は30代なので(苦笑)。でも、その垣根を超えて「ズバン!」と心に入ってくる言葉があるんです。それらはきっと、僕らも同じように若い頃に通ってきた、その世代、その時代を象徴する言葉なんだと思います。投げかけるメッセージが多様に変化しても「どんな世代の人たちにも響く言葉がある場所」でありたい。ですので、どの世代の方も安心して「四谷天窓」にいらして下さい。

言葉を大切にする、四谷天窓らしいメッセージありがとうございました。(※つづいて、ピアノ弾き語り専門の「四谷天窓.comfort」も取材させて頂きます。)

インタビュー&ライター 浅井陽(取材日 2017年6月)

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高田馬場(新宿区)
JR山手線で新宿と池袋の中間にある高田馬場。手塚プロダクション本社があり、ストーリ上でも高田馬場にある科学省で2003年4月7日アトムが誕生したことから、JR発車メロディは『鉄腕アトム』。ガート下の壁画や街路灯にも手塚作品の人気キャラクターたちが描かれ、アトム通貨(1馬力=1円)などユニークなまちづくり事業を展開。
サウンドペディア
四谷FOURVALLEY
1982年にオープンし、日本を代表するバンド・アーティストが出演した先駆的ライブハウス。2006年9 月に四谷での運営終了。姉妹店であるアコースティック・ライブハウス四谷天窓、四谷天窓.comfortは同年9月に高田馬場に移転。一方、フォーバーレの名称は2007年に両国FOURVALLEYに受け継がれ、2009年11月独立OPENした両国SUNRISEの前身となった。
オフィスオーガスタ
杏子、山崎まさよし、元ちとせ、スキマスイッチ、秦 基博などが所属する音楽制作プロダクション。2017年に設立25周年を迎えた。毎年夏にオフィスオーガスタによる野外ライブ「Augusta Camp」を主催。ライブハウス「四谷天窓」との縁も深く、店名は代表取締役社長の森川欣信による命名、木の看板(ロゴ)は山崎まさよしがデザイン。
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