LiveWalkerが取材したライブハウス・インタビュー特集(全111回・2013年7月〜2020年2月)のアーカイブです。掲載情報は取材当時のものです。

ライブやろうぜ!ステージファイル Vol.76

阿佐ヶ谷

阿佐ヶ谷「天」について
2015年5月「アートの心」を持つ人同士のコミュニティー空間づくりを目指し、阿佐ヶ谷北口にオープン。白い壁を彩るカラフルな「音」とラスタカラーの看板が目印。ジャズをはじめ、ロック、ブルース、レゲエから前衛表現まで、国もジャンルも12音階も飛びこえた多種多様なライブ・セッションが繰り広げられる。現在も7つのバンドで活動するオーナーの植田康夫氏は、「天」を拠点に、インターネットを通じて世界中の人たちとの交流スペース構築を計画している。
阿佐ヶ谷天「天」へのお問い合わせ
阿佐ヶ谷天(TEN)公式サイト
杉並区阿佐谷北2-1-5 B1F
TEL:070-6580-5070

ライブBARの中の人に話を聞いてみた〜 阿佐ヶ谷天(TEN)編

このコーナーはライブハウスでバンドをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。

阿佐ヶ谷「天」スタッフのみなさん

本日は阿佐ヶ谷のライブバー天(TEN)のオーナー植田康夫さんにお話をお伺いします。まずは、お店のオープン前後の経緯を聞かせて下さい。

2011年、高円寺で「運営スタッフが全員ミュージシャンのライブバー」というコンセプトで「高円寺Art Bar 天」としてスタートしました。僕も創設メンバーの一人でしたが、2015年当時のオーナーが辞めることになって、高円寺での店舗は2015年の1月に閉店しました。

ということは、高円寺から阿佐ヶ谷に移転してきたという形になるのですね?

はい、しかも移転までの期間がもう早くて (笑)。閉店した翌日、スタッフが別のライブハウスで演奏していたのですが、その日の対バンに不動産屋に勤めているという人がいて、高円寺の閉店の話をしたら「だったら、ここ(今の阿佐ヶ谷の場所)でお店やれば?」と物件を紹介してくれたんです。

移転先の候補が翌日にみつかるとは、縁を感じますね。それで即決されたのですね。

高円寺の店は、自主的にお店をたたんだわけではなく、いろいろな事情が重なって閉店せざるをえなかっただけで、気持ち的には、創設メンバーもみんな「次を探そう」と思っていました。しかも、この物件には、高円寺店に来ていた仲間の祖母が経営していた飲食店だったという縁もあって、迷うことなく、ここ阿佐ヶ谷で「天」を再開することにしました。

それで、植田さんがオーナーとなって今の「天」がスタートしたのですね。

そうですね。実際に新しいお店のオープン話が進むと「資金はだれが出すの?」ということになったので、「今度は僕がやるよ」ということで僕がオーナーになって、2015年の5月15日に阿佐ヶ谷でオープンして現在に至ります。

前衛的な表現も歓迎、来るもの拒まずなんでもやります

お店の特徴についてお聞かせ下さい。アートな看板にもジャンルの多様性が伺えます。

約三分の一はジャズバンドですが、インプロ、ブルース、ジャズ、R&B、ロック、フォーク、ノイズ、ハードコア…、ソロ、バンド、弦楽四重奏、あらゆるものがあります。来るもの拒まずなんでもやります。自分の趣味趣向で選別するようなことはしていません。

ほとんどのジャンルを網羅していますね!

前衛的な表現も歓迎していますので、鍋や机を叩いたり、裸で踊ったりという人もいます。とくにここ最近は、ノルウェー、スウェーデン、フランス、ドイツ、イギリス、イタリア、オーストラリア、中国…、いろいろな国の人がうちを知って、お店に来てくれるようになって、インターネットの影響力の大きさをあらためて実感しますね。

それはすごい。ネットの力といっても、発信する側に魅力があってこそ意味をなすものなので、それだけアーティストを魅了する要素がある証拠ですね。

ありがとうございます。逆に、うちに出ているアーティストがヨーロッパやアメリカに行ったりもしていますし、ノルウェー大使館から「アーティストとお店を宣伝させてほしい」なんていう問い合わせが来たり、そういう不思議なことが起こっているんですよね。今後、こういうつながりを最大限に活かすためにインターネットの中でも生きようと思っています。

インターネットの中で生きる?

ネットの世界=バーチャルの世界にも「天」を作る計画です。このリアルな現場だけでなく、インターネットのお店にも世界中のアーティストが集まってくると素敵じゃないですか?

はい、すでに世界とつながっているリアルな店舗があるので、可能性を秘めていると思います。

リアル店舗と、ネット内のバーチャル店舗の2つある状態にしておけば、僕の知らない間にも、自由にアーティストたちがやって来て交流できる、想像を超えた世界が成り立っていく。お店も盛り上がって、ビジネス的な観点からみても、生き残れると思います。

本質的には人と人をつなげる空間を作っている

このアナログ感あふれるライブバーに電脳交流世界のアイデアがあるとは!

実は、ライブバーではあるけど「音楽」は建前的な部分が大きくて、本質的には人と人をつなげる空間を作っているんですよ。だから、さっきジャンルの話が出たけど、ジャンルは関係ないし、アバンギャルドな表現でもなんでもいいんですよ。そして経営的にはコミュニティビジネスとして成り立つことを目指しています。

このお店もそうですが、植田さん自身もとても興味深い方です。植田さんの音楽遍歴、いや、ここまでの歩みをぜひお聞きしたいです。

僕は、杉並荻窪の出身、東中野育ちで、実際、この辺のことしか知らないんですよ(苦笑)。その後、代官山とか吉祥寺にもいましたが、そんなに変わらないですよね(笑)。

東京人特有の地域ひきこもりですか(笑)。

まさにそれです(笑)。このあたりで、13歳くらいからギター、20歳の頃からベースをやっています。どちらかというと、今はベースが本職です。

ギターをはじめたきっかけを教えてください。

中学校の謝恩会で、講堂で聴いた上級生(3年生)のエレキバンドです。そのバンドはベンチャーズをやっていて、当時ベンチャーズを全然知らなかったので「うわ、なんだ、これは!」と衝撃を受けました。その後、映画でビートルズを知って音楽にどっぷりハマりました。

卒業生のステージ演奏が、音楽との出会いになったわけですね。

そうですね。その後、20代はライブハウスで精力的にバンド活動を続けながら、サラリーマンとして大手通信会社や自動車メーカーなどの企業を相手に、通信ケーブルの材料を開発するような仕事をしていました。

このインタビュー企画にはあまり出てこないグローバル企業の名前がでてきましたが。

そのケーブルは世界中で使用されていて、今も何十億円という規模のビジネスが動いています。

これから、この店を拠点に世界を広げていきたい

第一線のビジネスシーンで活躍されていながら、またなぜ音楽業界に戻ってこられたのですか?

ライブハウスやスタジオで知り合いだった人たちが、仕事をやめたり、現場をはなれたり、それぞれが人生の岐路に立たされているときがあったんですよ。最終的に、そのうちの一人が責任者となって、みんなで「自分たちでライブハウスをやろう」という話になったので、その時点では、堅気のサラリーマンの立場を維持しながら、出資者兼取締役として参加しました。

それが、高円寺時代の「天」のオープンにつながっていくのですね。いま現在もサラリーマン業は並行されているのですか?

ここ阿佐ヶ谷に越してきた際に、昔の仕事はすべて辞めてきました。だから、これからはこの店を拠点に世界を広げていきたいです。

音楽を通じて人と人をつなげる、新しいチャレンジですね。それでは最後に「天」からメッセージをお願いします。

「あらゆるジャンルの音楽をアートとして紹介する」がライブコンセプトで、うちとして「コレじゃなきゃだめ」という音楽はありません。この店を通じてつながったあらゆるアーティストの方たちと、もっと関わりたい、彼らの芸術を応援したい、という思いでやっています。どんな表現でも構いません、アートの心を持つ人は、ぜひいらして来てください。

「天」から世界に発信されるイベント、期待しています。本日は貴重なお話をありがとうございました。

インタビュー&ライター 浅井陽(取材日 2018年1月)

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阿佐ヶ谷駅(杉並区)
高円寺と荻窪の間にあるJR中央・総武線の駅。昨年末『本当に住みたい街ランキング2017』で1位を獲得した南阿佐ヶ谷(東京メトロ丸ノ内線)まで約600mと注目度急上昇中のエリア。ASAGAYA TENがある「スターロード」は北口駅前から東西に伸びる商店街。夕暮れ時には赤ちょうちんが灯り、小さな店のネオンと電飾が天の川のように連なる。ふと見上げれば、芸妓の影絵も星の道を粋に演出。
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