<秋だ一番!音楽映画祭り>1995年インド
『ムトゥ 踊るマハラジャ』カレー点
さあ、今週でいよいよ音楽映画評論も最終回。ラストにふさわしいのは、インド映画『ムトゥ 踊るマハラジャ』の登場です。インド国内9割以上が音楽映画という、インド人にとっては、ごくごく普通の映画であることお忘れなく!
開けてビックリなのは、予想通りのキャラのわかりやすさ。自(他)ともに認めるスーパースター=ラジニカーントさん演じる主人公には邪心なんて微塵もないし、主人公の相棒は安定のずっこけキャラ。んで、悪者は徹底して悪者。
わかりやすさは初期のジャッキーチェン映画をはるかに凌駕しております。
そして、主人公以外のキャラも無駄に騒がしい。お屋敷の召使いも、旅芝居一座の裏方も、村の住人も、もう力の限りうるさい。まず、全員が近距離で大声すぎ。距離感を考えないアフレコで、映像と声の違和感たるやカレー。
あと、カメラ目線の決め顔多すぎ!
なんで、通勤途中(白馬の馬車)のシーンでカメラに決め顔ウインクかますの? いや、もうしょうがないです。これらを平常運転とみなし、物語を楽しむしかありませんね。
映画を観てると、ありがちな三角関係とか、悪人が出てきてピーンチなどありますが、その度に、例によって突然みんなで踊り出します(←この間、主人公の決め顔は二桁ほどカウントできます)。
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前述したように、主人公は、非の打ちどころのない天真爛漫なオジサン(←?)。で、平和を愛するが故に絶対に人を殴ったりしないとか豪語してるんだけど、その割には、酔っ払いを馬車の鞭でバッシンバッシンひっぱたいてるし、とんでもない悪役相手には「俺は絶対に暴力はしないけど、やる時は本気でぶっ飛ばす」と、矛盾だらけの決め台詞とともにカレー拳法で大暴れ(この間も決め顔あり)。
インド人は、こういう矛盾を見ても腑に落ちてしまうのでしょうか? リアルな話をすると、こういう矛盾行為があろうとも、彼らの言い分は以下の感じ→「前世で虫すら殺してないから、さっきのパンチは暴力にカウントされない」
これ冗談じゃないですからね!? 彼ら本気なんですよ。ワタクシの知人がインド人と喧嘩した時も、「お前のことは前世から許せなかった」と抗議され続けたそうです。いいですか!? 絶対にインド人とは口論しないでください。カルマレベルで勝てません!
あ、脱線しましたね。では話を戻して…、そうそう、主人公がこんなですからね。悪人の設定なんて、それはもう雑の極み!
女たらしの悪人は、浮気相手を左手で愛撫しながら、右手で嫉妬する本妻を殺すという器用な人。しかも、警察官だっつーのに、公務中もピンクの網シャツに皮ジャンに茶髪パーマ! ねえねえ、悪人って設定はいいとして、警察官という設定忘れてないかい?
んで、途中登場する聖者さんも、実は元は大富豪で、しかも主人公ムトゥさんのお父さんだったとか。まあインドらしいと言えばインドらしい設定なんだけど。聖者になった理由が「遺産相続が面倒くさいから家出しちゃうお。ついでに息子も召使いが育てといてくれろ〜」ってやつ。
なんでこんな無責任なやつが聖者として奉られるの?
で、最後は、案の定ムトゥさんが聖者みたいになっちゃうんだけど、そしたらば、周りの人間、一瞬で手のひら返すし。ご主人様も、好きだった女さんをムトゥさんに譲っちゃうし、悪人はあっさり改心しちゃうし。誰からも憎まれず、全ての人に祝福されるムトゥさん。
いやあ、やっぱりスーパースターだわ〜…THE END。
って…、なんで、この雑さで3時間(;`皿´)ユルセナイ!
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でもねえ、この映画で感銘したシーンが一か所だけあったんです。それは、ムトゥさんがみんなに祝福されている最中、相棒だった使用人が、いつの間にか失恋しており、ヤサグレて出家していたというシーン。「得るのも運。得られないのも運。」と捨てゼリフを言い放ち、丸坊主になりソファーでうなだれるという負け犬ぶり。(←出家したくせにお屋敷からは出ないらしい)
大団円のフィナーレで、何故、この切なすぎる小ネタを挟むのか…? 悪人に対する扱いよりひどくない?
これがカレーの隠し味というやつでしょうか?
インド映画、深いです…。
〜秋だ一番!音楽映画祭り・おしまい〜
<秋だ一番!音楽映画祭り>
<1>「スクール・オブ・ロック」(2015年10月14日公開)
<2>「セッション」(2015年10月21日公開)
<3>「メタリカ・スルー・ザ・ネヴァー」(2015年10月28日公開)
<4>「マイケル・ジャクソン THIS IS IT」(2015年11月4日公開)
<5>「ムトゥ 踊るマハラジャ」(2015年11月11日公開)