LiveWalkerが取材したライブハウス・インタビュー特集(全111回・2013年7月〜2020年2月)のアーカイブです。掲載情報は取材当時のものです。

ライブやろうぜ!ステージファイル Vol.78

阿佐ヶ谷 JAMBJAMB

阿佐ヶ谷JAMBJAMBについて
阿佐ヶ谷北口スターロードにあるライブバー「JAMBJAMB(ジャンブジャンブ)」は「大丈夫 だいじょうぶ」という意味もあり、どこか懐かしい味のある外観、心がほっとほぐれる中央線沿線の憩いのBAR。人気漫画「独身アパートどくだみ荘」で有名な故・福谷たかしさんの夫人・福谷衣織(通称MARIさん)がオーナーとして2003年にオープンして以来、多くのアーティストたちに愛されてきた。BAR営業を中心に、月に数回行われるライブでは20人入ればいっぱいの店内が鼓動と熱気に包まれる。
阿佐ヶ谷JAMBJAMBへのお問い合わせ
阿佐ヶ谷JAMBJAMB公式Twitter
杉並区阿佐谷北2-4-8 1F
TEL:03-3338-2912
営業時間:19:30~2:00頃まで

ライブハウスの中の人に話を聞いてみた〜 阿佐ヶ谷JAMBJAMB編

このコーナーはライブハウスでバンドをサポートしてくれる「中の人」に突撃インタビューして色々お話を聞いてしまおうというコーナーです。中の人の皆様、ご協力ありがとうございました。

阿佐ヶ谷JAMBJAMB オーナーのMARIさん(右) / スタッフの「あっくん」(左)

本日は阿佐ヶ谷のライブバーJAMBJAMB、オーナーの「MARIちゃん」とスタッフの「あっくん」さんにお話をお伺いします。オープンはいつになりますか?

MARI2001年に別の場所で「コズモマジック」というお店でスタートしました。その後、2003年にこの場所に移転しJAMB JAMBとしてオープンしました。

あっくん僕は2016年の8月からスタッフとして働いています。

2003年の移転の際に店名を変えたのですね。

MARIというより、当初はコズモマジックと並行して、2件目のお店としてやる予定でしたが、いろいろな事情で両方のお店をつづけるのはむずかしくなったので、少し広くて家賃も同じくらいだったJAMB JAMBの店舗の方に統合してオープンしました。

JAMBJAMBといえば、人気漫画の「独身アパートどくだみ荘」等の作者、福谷たかし氏の奥さまである、MARIさんが経営されているお店としても有名ですね。

MARI夫は、お酒も音楽も好きな人で、こういうお店に行くのを楽しんでいましたね。ずっと連載を続けていましたが、2000年9月に他界しました。その翌年の2001年にお店を始めることにしたんです。

最初からライブバーとしてオープンしたのですか?

MARIいいえ、前の店(コズモマジック)はカウンターだけだったので、さすがにライブをするのは難しかったのでいわゆる普通の飲み屋でした。

ライブを始めるきっかけは?

MARIお店を続けるうちに「ライブをやった方がおもしろい」ということに気付いて。ライブを取り入れると、お店の雰囲気も盛り上がりますからね。そういうこともあって、演奏スペースが作れるJAMB JAMBの方に移ってライブバーという形式にしました。

ライブバーとしてのコンセプトは考えていたのですか?

MARI路上でライブをやっている若い子たちのアーティスト活動を参考にしましたね。彼らが路上でやっている「投げ銭」のシステムを、そのまま、お店でやったらおもしろいかなぁ、と思いました。お店の売り上げにもなりますし。

気軽に聴きに行けて演奏を楽しめるのも、投げ銭ライブの良さですよね。

MARIそうなんです。当時は、映画関係の仕事もしていたので知り合いも多くて、有名アーティストもライブをしてくれていました。

フォークソング界の大御所達もここに!?

MARIはい。そんな有名なアーティストをお呼びしていましたので、一緒に出る若い子たちにも張り合いがあるみたいで、話題のイベントになりました。以前は週1ペースでやっていましたが、正直ブッキングに疲れてきてしまって (苦笑)、今は大々的にはやっていません。

オープン当時にお願いした若い子たちのライブが続いている

それでも、多くのアーティストにとって、特別な場所として愛され続けています。

MARIお店のオープン当時にお願いした若い子たちのライブが、いまだに続いていますよ。いい意味、歳を重ねて、音楽的にもすばらしく充実したものを表現していますね。

JAMBJAMB育ちのミュージシャンが成長し、表現者として熟成されていく様子は感慨深いものがありますね。

MARIそもそも彼らがここでライブをやり始めたのも、所属しているバンドでは好きなことができないとか、もっと自分の好きなように表現したい、ということからでした。そうやって、ここで演奏してきた子たちが、大きく活躍の舞台を広げていきました。

お店そしてオーナーのマリさんあってこそ、だと思います。

MARIありがとうございます。私はここで見守ってきただけなのですが、彼らが才能を開花させ、世に名を成していく姿を見ていると、素直にうれしく、誇らしく思います。

ところで、阿佐ヶ谷周辺には魅力的なライブバーが多くて、何件が取材しています。住宅街、飲み屋街ゆえに、周囲から音のクレームもあるかと思いますが、そのあたりはどうですか?

MARIもちろん、最初は来ましたよ(笑)。そもそも、当時は「ライブバー」というものが、この周辺にはあまりなかったんです。だから町会とか近所の人たちも、最初はびっくりしていましたね。もう、慣れたようで、なんとなく苦情が来なくなってきました(苦笑)。今では、ライブバーも増え、普通のカフェやバーでも簡単なライブをやっているようなお店がありますよね。

では次に、お二人の音楽との出会いをお聞かせください。スタッフの「あっくん」からお願いします。

あっくん僕は福岡の出身で「めんたいロック文化」の影響を受けています。中学の頃は80年代のポップスをメインに聴いていましたが、高校時代は80's後半の福岡のパンクスを観にライブハウスの危険な香りを嗅ぎに毎週末ライブハウスに通っていました。

危険な香りとめんたいロック、非常に気になります。

あっくんみんなが、セックス・ピストルズ、ラモーンズ、クラッシュ、ダムドみたいな感じでしたよ。めんたいロックは、山善、モッズやシナロケ、ルースターズなど、先輩方だから、ほぼ無理やり聴かされ入ってくるみたいな状況(笑)。でも、あまりジャンルはこだわりなかったですね、とにかくライブハウスがドキドキして異空間でした。

めいたいロックを生で体感していたとは羨ましい!東京へはいつ頃来られたのですか?

あっくん 2005年に上京してきたのでもう13年前になりますね。音楽活動を重ねながら、2013年にドラムボーカルの尚蔵とa.s.a.n(アズアン)という2Pバンドを結成しました。(※アズアン公式サイト

a.s.a.nは何度か観させていただきました。胸を打つメロディーとドラマチックな曲構成に感動させられました。

あっくんありがとうございます。今夜もここでライブをしますので、ぜひに (笑)。

ジャズバーやロックバーで飲んでいたから、音楽があることは当たりまえだった

次にMARIさんと音楽の出会いについて教えてください。

MARI私の青春時代は、ジャズバーやロックバーで飲んでいたから、出会いというより、そこに音楽があることが当たりまえでした。お酒のそばに常にいい音楽があって、お酒=音楽っていうのが自然に身についていたという感じです。

そういう自然体で音楽に接せられる場所って、大切だなと思います。よく聴いていた音楽は?

MARI当時のことだから、70年代ロックとかは大好きです。楽器もちょっとかじっていました。

MARIさんもバンド活動をされていたのですか?

MARIしばらくは自分のことは二の次で、とくに何もしていなかったんですけど、最近あっくんと「JAMBS」というバンドをやっています。ボーカル、ギター、ドラム、あとは、あっくんの知り合いのベースとギターという編成です。

このスペースでのライブとなると結構な人数編成ですね(笑)。

MARI元からぎゅうぎゅうですので(笑)。

それでは最後にJAMBJAMBからメッセージをお願いします。

MARIほっとして幸せになれるスペースを作りたい、そんな気持ちでこのお店をやっています。ここには、すばらしい人、すばらしい感性が集まっています。 一緒に取材をしてもらったあっくんは、ほんとうに人柄が良くて、私からお願いしてスタッフになってもらいました。ぜひ、私たちが目指している「あたたかさ」を味わいに来てください。

あっくんお待ちしています!

中央線沿線ならではのアットホームな時間を肌で感じられる取材でした。このあとa.s.a.nのライブを堪能させていただきます。貴重なお話をありがとうございました。

インタビュー&ライター 浅井陽(取材日 2018年2月)

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阿佐ヶ谷(杉並区)
阿佐ヶ谷のライブバー
大正〜昭和を通じて多くの作家・文化人が暮らした中央線沿線のまち「阿佐ヶ谷」。井伏鱒二らを中心に開かれた「阿佐ヶ谷会」をはじめ、若き文士たちのたまり場となっていた店『ピノチオ』は、現在の北口駅前パサージュあたりにあった。時代ともに街は発展し、景色は大きく様変わりしたが、風のにおいと路地裏の音の中に、当時の面影を見つけることができる。
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