「YoAsaiの音漏れ苦情報告書」〜 バンドマンに捧げる不定期コラム

不治の病に挑んだ男『池上直一物語』3/3

池上直一物語(3)「軍医、BCG予防接種」編

 

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結核療養所「長寿園」の設立まもなく、日本は第二次世界大戦へと突入。軍医として招集された直一は、この大戦中、驚異的に蔓延した結核に感染した兵士達の治療のため、果ては九州まで出征。爆撃の脅威にさらされる中、直一は多くの命を救うため奔走した。

 

1945年、軍医としての任務を終え、直一は列車で群馬の長寿園へ戻ることに。終戦間近とはいえ未だ戦争中。群馬までの道のり、直一には一人の兵士が護衛として帯同することになった。この兵士は、直一の戦地での治療活動に大そう感謝しており、自ら志願して直一の護衛となったのだ。

 

無事、群馬まで辿りつくことを祈るばかりであったが、関西を越えようかという最中、一機の米軍戦闘機が急襲。轟音と共に列車の側面上空に姿をあらわし、間もなく銃撃を開始。

 

縦横無尽の弾丸。直一は死を覚悟した。だがどうして、銃弾が直一を直撃することはなかった。奇跡的に難を逃れたと思い、身体を起こし目を開ける。

 

その光景に言葉を失った。そこには身体中に銃弾をうけ、割れた車窓にうなだれ絶命した兵士の姿があった。

 

 

事実、戦闘機が現れた瞬間、護衛の兵士は直一を床に伏せさせ、自らが銃撃の盾となったのだ。護衛としての任務を全うしたのか、はたまた、医師としての未来を託したのか、それらは定かではない。だが、確かにこの兵士は直一の身代わりとなり、直一は一命を取り留めた。

 

直一は甚だ打ちひしがれ、終戦後、この兵士の最期を伝えんと遺族を探しまわったという。

 

茫然自失のまま長寿園に戻る直一。だが、治療を待つ患者を前に落ち込んでいる時間はない。その多忙さは療養所だけにおさまらず、県近隣あらゆるところから往診依頼が殺到した。

 

中には、病院はおろか診療所もなく、電話を借りるだけで一山越えなければならない村からの依頼もあった。依頼を受けると直一はすぐさま現地へ赴く。

 

駅で迎えを待っていると、遠くから「池上先生」の名札を首に付けた一頭の馬がやってきた。まさかの馬が出迎えに来たのだ。人手の足りない村では、依頼人は患者の看病、険しい山道を越える送迎には馬を送るしか手段がなかったのだ。

 

 

一進一退かに思える治療活動。だが実はこの間、直一らは数年におよぶ綿密な計画を経て、とある画期的な結核対策を実行していた。

 

時を前にして1942年、BCG予防接種の実施。結核菌に対する免疫を獲得させる予防ワクチンの接種を日本で初めて開始。この計画は、直一が軍医として招集される一年前、国民学校卒業生で就職を希望する者を対象に開始されていたものだった。

 

この取り組みは結核予防および感染阻止に多大な効果をもたらし、大戦も終わりに近づく毎にその医療制度は改善され、やがては全国の児童が無料で接種できるまでに拡大。

 

1950年、新薬PASの出現により、結核は経口投与で治療が可能に。この時を境に、日本、いや世界で猛威をふるった結核は不治の病からの脱却を果たした。

 

幼い妹の死から30年余。直一はその無念を晴らした。

 

不治の病を治さんがため、医療に本気で取り組んできた医師たちがいた。そして、その医師たちの中に一人、幼い妹の無念を晴らしたい、ただそれだけのために医療に打ち込んできた男がいた。

 

ここにその事実を伝えたい。

 

不治の病に挑んだ男 池上直一物語

第1回 池上直一物語(1)「幼年〜別離」編(2017年10月18日公開)

第2回 池上直一物語(2)「青年立志」編(2017年10月18日公開)

第3回 池上直一物語(3)「軍医、BCG予防接種」編(2017年10月18日公開)

 

 

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